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福知山線脱線事故に思う [つぶやき]

 一瞬にして電車が大破し、多くの方が亡くなるという悲しい事故がありました。
 正確な情報をすべて明らかにして、個人の責任から運転手の適性判断や時間厳守要求など会社組織の問題など背景(根は深いような気がします)との因果関係まで、すべてを客観的に分析し、しっかりと対策をたてて二度と起こさないでほしいものです。そして何より、一番大切な被害者に対する手厚い補償という部分で、うまくいくことを祈っています。精神的、金銭的なサポートは、相手によって全く違ってくるはず、心のケアなど、その分野の専門家も交えて、その人が何を求めているか、一つ一つ絡んだ糸を解くように考えていく必要があると思います。

 現代社会、私達一人一人には、様々な道具(機械)を使うことで、素手だけでは考えられないような力が与えられるようになりました。ボタン一つで様々なことが出来てしまう…昔は、具体的にどんな機械が入っていてどう動くか見えていましたが、今は、テレビのように、多くの物がブラックボックス、仕組みが分かりません。基本的な原理や「どの作業をどのくらい便利にしているか」理解せず使うことの恐ろしさを感じました。便利だけれど、一歩間違えば、多くの犠牲者を出しかねない危険と隣り合わせ。平和な時間が長くなると、ついつい忘れてしまいがちです。
 一方で、既に人間は「機械」や「見えない力」に支配されているような印象を受けました。車は、ガソリンを入れれば24時間いつでも動きますが、人間は、御飯を食べるだけでなく、寝なければいけないし、十分な余暇、心のゆとりが必要です。知らないうちに使われて心身を消耗して、事故を起こして、さらに追い詰められる悪循環、社会が求める本当の便利さ、そこから生まれる幸せとは何か、考えさせられます。
 そして「時間」という(人間が勝手に考えた)数字に対する意識。実は「数字」は恐ろしい凶器になる可能性を持っていて、人は簡単に追い詰められてしまいます。電車の「時間」の正確さは、私達日本人が世界に誇れる「自慢」、そのプライドは大切にしてほしいけれど、安全であることが前提。「時間」を守らない→「制裁、会社を首」、これが行き過ぎると現場は「命がけ」になってしまう…どんな制裁も加害者、被害者、第3者にプラスとなる判断でなければならないはずです。
 知らないうちに、自分で自分の首を絞めて、心が病んで、様々なところで事故につながる…競争や効率化が求められて、「安全」はいつの間にか変質して、個々の人間は持つ能力以上のもの、つまり無理をさせられている気がします。自分達の幸せを追求するためにやり始めたことで自分の首を絞めている、というのは、滑稽です。加害者、被害者だけでなくすべての人が、自分達の社会に対する警笛と考えて、誰のための、どういう活動なのか、もう一度考えなくてはいけないと思いました。


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